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東京高等裁判所 昭和47年(行コ)35号 判決 1977年3月15日

控訴人(被告) 静岡県教育委員会

被控訴人(原告) 鈴木達正 外二名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次に加え、改め、削るほか、原判決事実摘示中、控訴人と被控訴人らに関係ある部分のとおりであるから、これを引用する(なお、第一審原告原川辰郎は、当審において訴を取り下げた)。

1  被控訴人ら代理人は、甲第七号証を提出し、当審における被控訴人ら各本人尋問の結果を援用し、後記乙号各証の成立を認めると述べ、控訴代理人は、乙第三五、三六号証の各一、二、第三七ないし四一号証を提出し、当審証人白石哲郎の証言及び当審における被控訴人ら各本人尋問の結果を援用し、甲第七号証の成立を認めると述べた。

2  原判決三枚目―記録五四丁―表一〇行目の「行」の後の「な」を削り、同一一行目の「十」を「一〇」と改め、原判決八枚目―記録五九丁―表八行目の「右」の後に「(二)の」を、同行の「本訴」の後に「準備手続」を各加え、原判決九枚目―記録六〇丁―表三行目の「召」を「招」と、原判決一〇枚目―記録六一丁―表二行の「計」を「図」と各改め、原判決一二枚目―記録六三丁―表一行目の「行」の後の「な」を削り、原判決一三枚目―記録六四丁―裏五行目の「照」の後に「ら」を、同行の「基」の後に「づ」を各加え、原判決一七枚目―記録六八丁―裏一行目の「役員であると」の後の「、」を削り、原判決二四枚目―記録七五丁―表五行目の「六号証」の後に「(いずれも写し)」を、同裏五行目の「三四号証」の後に「(第一三ないし三四号証はいずれも写し)」を各加える。

理由

一、請求の原因(一)、(二)の事実、控訴人の主張(三)1、2の事実、同3記載のとおり静岡市教組が本件休暇闘争実行のためにした準備活動の経緯及び本件休暇闘争が実行の直前に日教組の指令によつて中止された事実は、いずれも、当事者間に争いがない。

二、そこで、本件懲戒処分の事由の有無について判断する。

1(一)  被控訴人らが、市教組の執行部役員として、本件休暇闘争を実施するため、控訴人の主張(三)4の(1)ないし(5)記載のとおりの活動をしたことは、その法律上の評価は別にして、当事者に争いがない(但し、原本の存在、成立に争いがない甲第一、三、五号証、成立に争いがない乙第一号証の三、原審証人勝又武一の証言、原審及び当審における被控訴人鈴木本人尋問の結果によれば、被控訴人らが組合員に本件休暇闘争の実行の可否を問う投票をさせたのは、昭和四〇年一〇月上旬ではなく同年九月二〇日ころであることが認められる)。

(二)  又、被控訴人らが、同(6)の(イ)ないし(ホ)記載のとおり積極的なオルグ活動を行つたことは、その法律上の評価及び左記に判断する点を除いて、当事者間に争いがない。

前掲甲第五号証、前掲被控訴人鈴木本人尋問の結果、成立に争いがない乙第一号証の六、一〇、原審証人田中弘の証言を総合すれば、被控訴人らが特定の分会に対してオルグ活動をするようになつたのは、これらの分会では決意書提出の方法による本件休暇闘争への参加者がきわめて少ないことを知つたためであることが認められる。前掲甲第一号証(原本の存在、成立に争いがない乙第二一号証も同一内容)、当審における被控訴人和田本人尋問の結果中には、決意書の集約が終つたのは昭和四〇年一〇月二〇日であるとして、右日時以前におけるオルグ活動が決意書の提出とは無関係であるかのように述べた部分があるが、これらの証拠は前掲各証拠に対比して信用できない。

又、原審証人稲葉義州の証言によれば、被控訴人鈴木は、城内中学校において開催中の書写研究会の参会者に対し本件休暇闘争のための集合先を指示した際、同中学校の教頭として会場の整理運営に当つていた稲葉義州から、同校二階廊下において、用がなければ外へ出るようにいわれ一旦は同所から立ち去つたが約一時間後に再び現われ、右稲葉から前同様退去を求められたのにこれをきかずに研究会の会場に立ち入り、同会場や付近の廊下で、研究会が終つたら県教組の会議室に集まつて下さいと叫んだため、右稲葉から肩に手をかけられて階下へ下りて行つたことが認められ、前掲被控訴人鈴木本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。

なお、控訴人は、被控訴人和田は、昭和四〇年一〇月二一日午後八時半ころから午後九時一〇分ころまでの間、被控訴人鈴木ほか一名と青葉小学校におもむき、決意書未提出者に対し本件休暇闘争に参加するように説得したと主張するが、被控訴人和田が右日時に青葉小学校におもむいたことを認めるべき証拠はない。もつとも、被控訴人和田は、原審の準備手続において右事実を認める旨の陳述をしたが、後に右自白を撤回した。控訴人は右自白の撤回に異議を述べるが、前掲被控訴人鈴木本人尋問の結果、原審証人溝口悦郎の証言、原審における被控訴人和田本人尋問の結果によれば、被控訴人和田が右日時に青葉小学校におもむいたことはなく、右自白は真実に反し、かつ、錯誤によつてなされたことが認められるので、その撤回を許すべきである。

(三)  以上によれば、被控訴人和田については控訴人の主張が一部認められないところがあるが、被控訴人らは、本件休暇闘争を実行するために、ほぼ控訴人主張のとおりの活動をしたものであつて、地公法三七条一項後段が禁じている争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたことになるというべきである。

2  次に、被控訴人らの白石哲郎に対する暴力行為の有無について判断するに、前掲甲第一、三、五号証の各一部、前掲被控訴人鈴木、同和田各本人尋問の結果の各一部、原本の存在、成立に争いがない甲第四号証の一部、成立に争いがない乙第七号証の一、二、原本の存在、成立に争いがない乙第一六号証、第一七、一八号証の各一部、第一九、二〇号証、第二一号証の一部、第二二ないし二七号証、第二八ないし三一号証の各一部、第三二ないし三四号証、原審証人中口武彦、同勝俣武、同牧元親雄、当審証人白石哲郎の各証言、原審及び当審における被控訴人繁田、原審における第一審原告原川各本人尋問の結果の各一部及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  昭和四〇年一〇月当時、白石は市教組西奈中学校分会の分会長であつたところ、同分会では本件休暇闘争に消極的な空気が濃く、白石自身も同中学校の職員が小人数で一人当りの負担が大きいためもあつて、日頃から組合活動には消極的であり、本件休暇闘争実施決定の前後を通じて分会長会議に出席することがきわめて少なく、そのため被控訴人鈴木、同和田をはじめとする市教組執行部は、本件休暇闘争実行に当つての同中学校職員らの態度には少なからず憂慮の念を抱いていた。このような状況のもとで、闘争予定日の二日前である昭和四〇年一〇月二〇日夕刻から市教組本部で各分会長らを集めて闘争に入る最後の闘争委員会が開かれたが、白石は何らのことわりもなく唯一人右委員会には出席しなかつた。しかるところ、被控訴人鈴木は、闘争委員会が始まる直前に西奈中学校と同一敷地内にある西奈小学校から電話を受け、白石が同日午後五時ころ同校分会長河合義雄に対して、西奈中学校では今度の闘争に参加できない者が一〇名位出そうだと電話したとの事実を知らされた。西奈小学校からの電話は、同校では一応全員参加の態勢ができていたところへ白石から右のような電話を受け、同一敷地内にある西奈中学校との足並みがそろわないまま自校のみが全員闘争に参加した場合には父兄らから特にきびしい非難を受けるおそれがあることを憂慮し、執行部に対策を求めてきたものであつた。しかるに、被控訴人鈴木は、本件休暇闘争の実施を決定して以来、執行部の方針として、分会同志で互いに情報を交換することは当局やPTAによる切崩しを招く危険があるとしてこれを禁止する旨を指示していたこともあつて、白石の右行為を統制違反であるばかりでなく、積極的に闘争の切崩しを図つている破壊工作の疑いすらあると判断し、早急に白石を訪ねて真相をただして反省を求め、闘争の防衛を図る必要があると考えた。そして、被控訴人鈴木は、闘争委員会が終了した同日午後九時すぎころ、静岡市南町にある白石方を訪ねるべく第一審原告原川のスクーターに乗せてもらい出発したが、途中で、書記長の被控訴人和田が白石と旧知の間柄であるので同被控訴人と一緒に行く方がよいことを思いつき、同市西門町のバー「サイセリア」に立ち寄つて一服しながら、第一審原告原川に頼んで市教組本部に残つている被控訴人和田を迎えに行かせた。被控訴人和田は食事のために被控訴人繁田と二人で市教組本部から出かけるところであつたが、第一審原告原川がタクシーで迎えにきたのでそのままタクシーに乗車して「サイセリア」に向つた。被控訴人鈴木は、「サイセリア」に入つてきた被控訴人和田に対し、闘争の防衛を図る必要があるので一緒に白石方へ行つてもらいたいというと、被控訴人和田は、闘争委員会の途中で被控訴人鈴木から西奈小学校からの電話の内容を耳うちされていたこともあつて、白石に会い真偽を確かめ態勢作りをする必要があると考え、即座に被控訴人鈴木と同行することを承諾した。被控訴人繁田及び第一審原告原川の両名は、被控訴人鈴木と同和田の右話合いには加わらなかつたが、被控訴人鈴木からこれから白石方に反省を求めに行くので一緒にきてくれといわれて同行することを承諾し、このようにして四人が揃つて被控訴人鈴木が呼んだタクシーに同乗して白石方へ向けて「サイセリア」を出発した。

(二)  同日午後一〇時一〇分ころ、被控訴人らは白石方前の路上でタクシーを止め、被控訴人鈴木、同和田及び第一審原告原川の三名が下車し、和田、原川の両名が自転車預り業を兼ねている白石方の店先の土間に入つて行き、被控訴人鈴木は表で待つていた。そして、被控訴人和田は白石に「組合のことで話があるから外へ出て欲しい」と告げ、同人を呼び出した。白石はこれに応じて着流しのまま表へ出てきたが、すぐに被控訴人鈴木の姿を認め、「こんばんわ」と声をかけながら同人のところへ五、六歩近づいて行つた。すると、被控訴人鈴木は、いきなり「ばかやろう、裏切者」と叫びながら、右の握りこぶしで白石の左頬を一回殴りつけた。白石は驚いて「委員長、殴つたな」と叫び、その理由をただしたところ、被控訴人鈴木は、白石が河合に電話したことを責め、右腕で白石の左腕をかかえ引つぱるようにしながら歩き出した。近くにいた被控訴人和田は、この間にタクシーに残つていた被控訴人繁田を下車させ、タクシーを待たせたまま第一審原告原川とともに三人で被控訴人らの姿を追つたが、被控訴人鈴木が白石をどこまでも連れて行くので、第一審原告原川のみは間もなく被控訴人和田の指示でタクシーに戻り、これに乗つて前記「サイセリア」に引き返したうえ、同所に置いてあつたスクーターで市教組本部に立ち寄り、残つていた役員らに被控訴人鈴木が白石と話合中であることを報告して帰宅した。

(三)  被控訴人鈴木は、白石を同人方から約一キロメートル離れた静岡市中田二〇九番地の一付近の路上まで連れて行き、途中で白石が分会長会議などにまれにしか出席していないことをなじつたりした。その間、被控訴人和田は時々二人の話に口をはさんだが、被控訴人繁田は黙つたまま数歩後からついて行つた。

被控訴人鈴木は、前記路上までくると、白石に向つて本件休暇闘争について同人が分会員にどのような指導をしたかと問いただした。これに対し、白石が闘争参加については分会員一人一人の判断に任せ、積極的勧誘はしなかつたと答えると、被控訴人鈴木は、「そんな分会長があるか、それで分会長が勤まるか」と語気鋭く詰め寄り、こぶしで白石のみずおち付近を二、三回突き、そんな分会長は今ここで委員長が免職すると言つたが、白石は、分会長の選任は分会員の総意によるのであるから、分会員でない委員長の言葉に従うわけにはいかないと答えた。被控訴人鈴木は更に三、四〇分にわたつて白石に本件休暇闘争の意義を説き、被控訴人和田とともに、分会長としての勤めが果せないなら辞任すべきだと迫るなどの問答を重ねたが、白石がどうしても闘争に協力するような態度を示さないので、それ以上の議論を断念してタクシーを拾い被控訴人和田、同繁田とともに白石を同人方付近まで送つた後、三人で前記「サイセリア」へおもむいた。

(四)  西奈中学校では、翌一〇月二一日、白石から前夜の暴行事件の報告を受け、分会会議を開いて被控訴人鈴木の謝罪と釈明を求める態度をきめ、同校に在籍している市教組の武田副委員長にその旨伝言するよう要請し、分会執行部からも市教組本部に電話でその趣旨を伝えようとしたが、電話が通じなかつたり、被控訴人鈴木が不在であつたりして、直接連絡がとれなかつた。被控訴人鈴木の方からも自発的に謝罪するような態度は示されなかつた。ところが、同年一二月二日の静岡県議会商工文教委員会で上記事実が市教組幹部の暴行事件として取りあげられ、翌三日の静岡新聞、東京新聞静岡版などに記事となつて現われるに及び、被控訴人鈴木らはようやく西奈中学校分会への了解工作を始め、同日同校で開かれた分会会議に被控訴人鈴木が出席して暴行の事実を認め、謝罪の意思を表明するとともに、分会としてこの問題について了解したという趣旨の書面をもらいたいと要請した。同校分会では投票の結果六対五で被控訴人鈴木の謝罪を受けいれるという態度をきめたが、その日は白石が出席していなかつたうえに、翌四日には、白石が分会一任の態度を変えてこの問題は白石個人の問題に戻してもらいたいという意思を表明し、同時に分会を脱退したことと、被控訴人鈴木が同校分会から要求された謝罪文を出すと約束しながら、これを実行しなかつたために、この了解工作は立消えになつてしまつた。

(五)  同月一一日、被控訴人鈴木は、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の疑いで逮捕され、数日後釈放されたが、昭和四一年一月二九日、暴行罪で起訴され、同四二年八月三一日、静岡地方裁判所で罰金一万円に処するとの判決を受けたので控訴したが、昭和四三年三月二五日、東京高等裁判所で控訴棄却の判決を受け、更に最高裁判所に上告したが、昭和四五年二月二四日、上告棄却の判決を受けて確定した。

以上の事実を認めることができ、前掲甲第一号証、第三ないし五号証、乙第一七、一八号証、第二一号証、第二八ないし三一号証、原審及び当審における被控訴人ら並びに原審における第一審原告原川各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三、次に、前段認定の事実に基づいて本件懲戒処分の適否を検討する。

1  右のように、本件では、懲戒処分の事由として、地公法三七条一項後段に該当する事実と白石哲郎に対する暴力行為の双方の事実が認められるところ、本件懲戒処分が行われた際に被控訴人らに交付された懲戒処分事由説明書には、白石に対する暴力行為の事実のみが記載されていて地公法三七条一項後段に該当する事実が記載されていなかつたことは、当事者間に争いがない。

被控訴人らは、この点に関して、処分事由説明書に記載されていなかつた事実は処分取消訴訟において処分事由として追加することは許されないと主張する。しかしながら、行政処分の取消しを求める訴訟において、処分者はその処分当時に存在したすべての事実を処分事由として追加することができると解すべきであるから、右主張は採用できない。とくに、本件では、地公法三七条一項後段に該当する事実は白石に対する暴力行為の背景をなしていることが前段の認定によつて明らかであつて、両者は密接な関連を有するから、地公法三七条一項後段に該当する事実を処分事由として追加し処分の適否を判断する際の資料とすることを禁ずべき理由はない。

2  被控訴人らは、地公法三七条一項後段に該当する処分事由に関して、その根拠となる地公法三七条一項前段が、すべての地方公務員につき争議権を一律に否定し、職務内容の公共性の大小や方法のいかんを問わず、あらゆる争議行為を全面的に禁止していることは、憲法二八条に違反し無効であると主張する。

しかし、当裁判所は、最高裁判所の判決(最高裁昭和四四年(あ)第一二七五号、同五一年五月二一日大法廷判決、刑集第三〇巻第五号一一七八頁)に従い、すべての地方公務員につき争議権を一律に否定した地公法三七条一項前段の規定は憲法二八条に違反するものではないと解するものであつて、被控訴人らの右主張は採用できない。その理由の詳細は右最高裁判決に示されているとおりであるが、要点を示せば、地方公務員は、地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有し、かつ、その労務の内容は、公務の遂行すなわち直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有するものであることから、地方公務員の争議権その他の労働基本権は、地方公務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益のために、これと調和するように制限されることもやむをえない理由があるということであり(制限の根拠)、又、地方公務員の勤務条件は、法律及び地方公共団体の議会の制定する条例によつて定められ、その給与が地方公共団体の税収等の財源によつてまかなわれることから、専らその地方公共団体における政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮によつて決定されるべきものである点において、私企業における労働者の場合のように団体交渉による労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、争議権も団体交渉の裏づけとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいことなどのために、これを制限しても私企業における労働者の場合のような不利益ないし影響は少ないということであり(制限の可能性)、更に、地公法上、地方公務員のために勤務条件に関する利益を保障する定めがなされている(地公法二四条ないし二六条など)ほか、人事院制度に類似する性格をもち、かつ、これと同様の、又はこれに近い職務権限を有する人事委員会又は公平委員会の制度(同法七条ないし一二条)が設けられているなど、地方公務員の労働基本権の制約に見あうだけの代償措置が講じられているということである(制限の条件)。

被控訴人らは、地公法三七条一項前段の違憲性を強く主張するが、前記判決がいわゆる警職法反対闘争事件についての最高裁判決(昭和四三年(あ)第二七八〇号、同四八年四月二五日大法廷判決、刑集二七巻四号五四七頁)を経て形成されてきた経過及びそれが最終審としての最高裁判所の憲法判断であることにかんがみて最大限に尊重されるべきであるから、これと見解を異にする被控訴人らの主張には左袒できない。

もつとも、前掲甲第一、三、五号証、乙第一号証の三、第二一、三〇号証、前掲証人勝又武一の証言、前掲被控訴人鈴木本人尋問の結果、原本の存在、成立に争いがない甲第二号証、成立に争いがない乙第一号証の一、二、四、五、九ないし一二、第八号証、第一〇、一一、三五号証の各一、二、原審証人槇枝元文の証言によれば、本件休暇闘争の最も大きな目的が人事院勧告の完全実施を要求することにあつたことが認められるので、更に具体的な事実関係に即して代償措置の十分性ないしその完全な実現を求める争議行為の正当性について判断する。右各証拠によれば、各都道府県の人事委員会は、本件休暇闘争が計画される以前から、地方公務員の給与引上げに関して毎年地方公共団体の議会などに対して勧告を行つてきたが、その勧告の内容は、人事院が国家公務員について国会などに対して行う勧告のそれに準ずるのが通常であつたこと、ところが、人事院は、昭和三五年以来、国家公務員について毎年給与引上げの勧告をし、その中でこれをその年の五月一日から実施すべきであるとしてきたが、時の政府は、引上げ率についてはおおむね勧告に従つてきたものの、実施時期については財源難を理由にして九月あるいは一〇月まで遅らせて実施してきており、各地方公共団体が実施する地方公務員の給与引上げも、時期の点ではその年の国の方針に追随するのが通例であつたこと、そのため、日教組などによつて結成された公務員共闘会議は、昭和四〇年度に至り、政府及び各地方公共団体のこのような態度を改めさせるには、まず政府に対して人事院勧告の完全実施を要求することが必要であり、そのためには実力行使に訴えることもやむなしとして、同年一〇月二二日に全国統一行動を行う方針を定め、その一環として本件休暇闘争が計画されたものであることが認められる。

しかし、地方公務員について、争議権制限の代償措置として講じられているのは、単に人事委員会による給与引上げの勧告の制度にはとどまらず、地公法上、身分、任免、服務その他の勤務条件について地方公務員の利益を保障する定めがなされていることをも含むものであるばかりでなく、給与引上げの勧告についても、昭和三五年以来、実施時期は財源難を理由にして四、五か月遅らせることがあつたものの、引上げ率についてはおおむね勧告に従いその内容どおり実施してきたことは、右に認定したとおりである。したがつて、本件休暇闘争当時、代償措置がその本来の機能を喪失し実際上画餠に等しいとみられる事態が生じていたものとはいえないから、地公法が人事委員会の勧告に法的拘束力を認めず勧告が完全には実施されない余地を残したままの状態で争議権の制限を定めていることが、代償措置としては不十分であつて前述した労働基本権の制限の条件に違反して違憲無効であるといえないのはもとより、地方公務員についてなされる給与引上げの勧告が追随してきた人事院勧告の完全実施を求めるために計画された本件休暇闘争が、前記のような事実関係のもとではその目的において正当であつて違法性が阻却されるものともいうことはできない。

3  被控訴人らは、地公法三七条一項後段に該当する処分事由に関して、更に、それは被控訴人らが市教組の役員として単に通常の組合の会議に関与したり、通常の組合の執行行為に参画したというだけのことにすぎず、組合の規約に従つて決定された組合員全員の意思に基づいて争議行為を実行するに際し、これに必要な提唱、勧誘等の行為をしただけであつて、争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたということには当らないと主張する。右主張は、争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたということを何らの限定を加えない文字どおりの意味に解するときは、争議行為に関与したすべての組合員についていいうることで、地公法がとくにそれらを処罰の対象としたことを重視するならば対象となる行為の内容はおのずから限定されざるをえず、単に組合の意思決定に参画し、争議の遂行に協力したという以上に、行為の手段がいちじるしく不当であり、強度の違法性が認められる場合に限られなければならないというものである。

しかし、公務員の争議行為が国民全体又は地方住民全体の共同利益のために制限されるのは、それが業務の正常な運営を阻害する集団的かつ組織的な労務不提供等の行為として反公共性をもつからであるところ、このような集団的かつ組織的な行為としての争議行為を成り立たせるものは、まさにその行為の遂行を共謀したり、そそのかしたり、あおつたりする行為であつて、これら共謀等の行為は、争議行為の原動力をなすもの、換言すれば、全体としての争議行為の中でもそれなくしては右の争議行為が成立しえないという意味において中核的地位を占めるものであり、一般的に法の禁止する争議行為の遂行を現実化させる直接の働きをするものである。地公法は、共謀、そそのかし、あおり等の行為がもつ右のような性格に着目してこれを社会的に責任の重いものと評価し、違法な争議行為の防止のために、このような行為をした者を処罰する必要性を認め、罰則を設けているものであつて(前記昭和五一年五月二一日最高裁判決参照)、共謀等の行為の手段がいちじるしく不当であり、強度の違法性が認められる場合でなければ、そもそも処罰の対象となる行為には当らないと解すべきではない。したがつて、被控訴人らが、市教組の役員として単に通常の組合の会議に関与したり、通常の組合の執行行為に参画する過程で、争議行為を実行するのに必要な提唱、勧誘等の行為をしたにすぎないとしても、これらの行為は争議行為の原動力であり全体としての争議行為の中で中核的地位を占め争議行為を現実化させる直接の働きをなすものである以上、争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつた場合に当るものと解することに何らの妨げもない。

4  被控訴人らは、地公法三七条一項後段に該当する処分事由に関して、争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおるということは、集団的、組織的労働関係の場における労働者の行動であつて、懲戒処分をなしうる場合とはその次元を異にするから、通常の個別的な労働関係を前提とする懲戒処分をすることは、憲法二八条、一八条に違反すると主張する。

しかし、集団的、組織的労働関係といつても個別的な労働関係と切り離しては成立しえないのであつて、ひつきよう、個別的な労働関係における労働者の利益を保護しそこでの労使の実質的平等を実現するところに右のような概念の認められる根拠があるのであるから、このような両者の密接な関係に着目するならば、集団的、組織的労働関係の場における労働者の行為に違法があるときは、これを個別的な労働関係の場に反映させて懲戒処分の事由とすることは何ら不当ではなく、憲法二八条、一八条に違反するものとはいえない。

5  被控訴人らは、本件懲戒処分に関して、本件休暇闘争は、日教組傘下の各教職員組合が全国的に行つてきたもので、しかも最後には日教組の指令により実施することなく中止されたものであり、かつ、被控訴人らは組合役員として当然なすべき行動以外のことは何もしていないし、暴力行為については、被控訴人鈴木にとつては偶発的な事件であり暴行の態様も軽微なものであり、その他の被控訴人らに至つては何らの違法行為もないのであるから、控訴人がした本件懲戒処分は、いずれの被控訴人に対してもはなはだしく合理性を欠き、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用してなされた違法なものであると主張する。

そこで、前に認定した処分事由に基づいて、被控訴人ごとに本件懲戒処分が控訴人に認められた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものかどうかを検討する。

(一)  被控訴人鈴木について

被控訴人鈴木は、市教組の執行委員長として、本件休暇闘争に積極的に取り組み、闘争委員会やオルグ活動においても指導的な役割を果したばかりでなく、闘争に消極的な白石に対し十分に事実関係を確かめることもしないで一方的に暴行を加え、更に白石が容易には自分の意向に同調しないことを知ると力づくでこれを屈服させようとしたものであつて、このような行為が教職員の品位を傷つけ、一般の信頼をいちじるしく低下させたものとして、全体の奉仕者にふさわしくない非行があつた場合に当ることはいうまでもない。しかも、暴行事件についてみれば、被控訴人鈴木は、みずから引きおこした事件を反省しその非を認めるという気持がうすく、事件の約四〇日後に新聞等によつてその内容が公にされるに至つてようやく被害者との了解工作をはじめるなど、事件後における態度にも遺憾とすべきところが少なくはない。もつとも、このような暴行事件が発生した背景としては、闘争直前ということで精神的に極度に緊張していたことに加え、白石の態度を分会長の地位にありながら執行部に協力せず、かえつて組合員の団結を乱す裏切り行為に出たものと解し、これに反発する余り、耐えてきた感情が一時的に爆発してしまつたという事情のあつたことが推認されないではない。しかし、本件休暇闘争が地公法三七条一項に反する違法なものであつたことは前述したとおりであつて、白石がその実行に消極的であり、分会長の地位にありながら非協力的な態度に終始したからといつて、とくに責められるべきところはないといつてよいし、仮に白石に組合の規約や指示にそわない不都合があつたとすれば、これに対しては組合の正規の手続に従つて処置すべきであつて、暴力行為をもつてこれにのぞんだことは、民主主義のルールにも根本的にもとるとの非難をまぬかれることができない。更に、白石が西奈小学校に電話したことも格別闘争を妨害する意図に出たものと認めるべき資料はなく、被控訴人鈴木のところにも闘争の切崩しがあつたという報告があつたわけではないから、これを裏切りであり破壊工作の疑いすらあると判断したことは、一方的な誤解であつて、このような誤解がひいては暴行事件へと発展して行つたことを考えると、被控訴人鈴木の責任は重大であるといわなければならない。

したがつて、本件休暇闘争について、結局は中止されて何らの実害も生じなかつたこと、被控訴人鈴木が市教組の執行委員長として人事院勧告の完全実施をかちとり組合員の利益を守るためには実力行使に訴える以外に方法がないと信じ、いわば私心をすてて闘争に取り組んでいたこと、又、暴行事件について、逮捕に引き続いて数日間身柄を拘束されたうえ罰金の有罪判決が確定していることなどの事実を斟酌したとしても、控訴人が被控訴人鈴木に対し懲戒処分をもつてのぞんだことは正当であり、これに、成立に争いがない乙第四〇号証によつて認められるとおり、被控訴人鈴木は昭和三九年に控訴人から訓告を受けた事実があつたことなどの事情を総合すると、その具体的処置として懲戒免職を選択したことは相当であつて、右処分が控訴人に認められた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない。

(二)  被控訴人和田について

被控訴人和田は、市教組の書記長として、被控訴人鈴木を補佐し、本件休暇闘争に積極的に取り組み、闘争委員会やオルグ活動においても指導的な役割を果したばかりでなく、被控訴人鈴木から白石方に同行することを求められると、みずからも電話の件について真偽を確かめ闘争の態勢作りをする必要があるとして即座にこれを承諾し、白石を戸外に呼び出す役割を担つたものであつて、被控訴人鈴木との間で事前の共謀があつたことを認めうべき証拠はないものの、被控訴人鈴木による暴行事件の場面作りをしたといわれても弁解の余地がないものである。しかも、闘争突入直前の緊迫した情勢のもとで、被控訴人鈴木から西奈小学校からの電話の内容を耳うちされ更に前述のようにして白石方に同行することを求められたいきさつからして、被控訴人和田としては、白石が西奈小学校に電話をかけたことや同人の闘争に対する消極的な態度に対して被控訴人鈴木がどのような気持なり感情を抱いているかは十分に認識していたものと認められるし、みずからも電話の真偽を確かめ闘争の態勢作りをする必要があるという明確な目的をもつて白石方におもむいたのであるから、白石とは旧知の間柄であることや書記長として被控訴人鈴木を補佐すべき立場にあつたことをあげるまでもなく、被控訴人鈴木と白石との話合いの内容には強い関心を払い事態の推移を見守つていたものと認めざるをえないのである。現に、被控訴人和田は、時々被控訴人鈴木と白石との話合いに加わつたことのほか、白石方前の暴行については被控訴人鈴木が興奮したような状態にあつたとして異常な気配に気づいたこと、再度の暴行現場ではすぐ近くに居あわせてほとんど離れずにいたことを認める供述をし、更に再度の暴行後には前述のように被控訴人鈴木ともども白石に対して分会長の責任を追及する発言をしているのであつて、これらの事情を総合すると、被控訴人和田が被控訴人鈴木の白石に対する暴行に気づかないでいたとはとうてい考えられず、やはり、その都度これらの暴行を目撃しながらこれを制止することなく黙認していたものと認めるほかなく、積極的ではないけれども、被控訴人鈴木の不法行為に加担したとの非難をまぬかれることができないものというべきである。

したがつて、被控訴人和田には、違法な争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたこととあいまつて、教職員の品位を傷つけ、一般の信頼をいちじるしく低下させ、全体の奉仕者にふさわしくない非行があつたものといわなければならないから、控訴人がこれに対し懲戒処分をもつてのぞんだことは正当であり、これに、成立に争いがない乙第四一号証によつて認められるとおり、被控訴人和田は昭和三九年に控訴人から訓告を受けた事実があつたことなどの事情を総合すると、その具体的処置として停職六か月を選択したことは相当であつて、右処分が控訴人に認められた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない。本件休暇闘争が結局は中止されて何らの実害も生じなかつたこと、被控訴人和田が市教組の書記長として人事院勧告の完全実施をかちとり組合員の利益を守るためには実力行使に訴える以外に方法がないと信じ、いわば私心をすてて闘争に取り組んでいたからといつて、右の判断を左右するには足りない。

(三)  被控訴人繁田について

被控訴人繁田は、市教組の執行委員として、被控訴人鈴木、同和田らとともに本件休暇闘争を実行するために積極的に活動したばかりでなく、被控訴人鈴木から白石に対して反省を求めに行くので一緒にきてくれといわれてこれと同行したうえ、被控訴人鈴木が白石を連行して行く後からついて行き、二度目の暴行に際しては、その付近に居あわせていたのであるから、被控訴人鈴木と白石との話合いの内容や事態の推移にも十分に関心をもつていたものと認められ、したがつて異常な様子があれば直ちに同人らの中に入つて行き違法行為を制止すべき立場にあつたものというべきである。しかるに、被控訴人繁田は、被控訴人鈴木の白石に対する二度目の暴行に際しては、その付近に居あわせながら、何ら制止等の行為に出ることなく慢然とこれを見のがしてしまつたのであつて、消極的ではあるが、被控訴人鈴木の違法行為に加担したと非難されてもやむをえないものであり、違法な争議行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつたこととあいまつて、被控訴人繁田には、教職員の品位を傷つけ、一般の信頼をいちじるしく低下させ、全体の奉仕者にふさわしくない非行があつたものといわなければならない。

したがつて、控訴人が被控訴人繁田に対し懲戒処分をもつてのぞんだことは正当であつて、右に認定した事情を総合すると、その具体的処置として三か月間給料及びこれに対する暫定手当の合計額の一〇分の一を減給することにしたことは相当であつて、右処分が控訴人に認められた裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したものということはできない。本件休暇闘争が結局は中止されて何らの実害も生じなかつたこと、被控訴人繁田が市教組の執行委員として人事院勧告の完全実施をかちとり組合員の利益を守るためには実力行使に訴える以外に方法がないと信じ、いわば私心をすてて闘争に取り組んでいたからといつて、右の判断を左右するには足りない。

なお、被控訴人らは、本件懲戒処分は、被控訴人らが市教組の役員として活発な組合活動をしていたことに対する控訴人の敵意から出たものであると主張するが、各被控訴人についてそれぞれ懲戒処分に見あうだけの処分事由が存在していることはこれまでみてきたとおりであつて、本件懲戒処分はこのような処分事由を基礎としてなされたものであることが明らかであるから、たとえ被控訴人鈴木に対する懲戒処分が暴行事件についての検察官の訴追をまたずになされたことなどの事情があつたとしても、右主張は採用の限りでない。

四、以上のとおりであつて、控訴人が被控訴人らに対してなした本件懲戒処分はいずれも相当であつて、その取消しを求める被控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないから棄却すべきであり、これと結論を異にする原判決を民訴法三八六条により取消したうえ、本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進 兼子徹夫 太田豊)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

被告が昭和四一年一月一四日付でした原告鈴木に対する免職、原告和田に対する停職六ケ月、原告繁田、同原川に対する減給三ケ月(給料および暫定手当の合計額の一〇分の一を減ずる)の各懲戒処分をいずれも取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

(一) 原告らは主文同旨の判決を求めた。

(二) 被告は「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決を求めた。

第二、請求の原因

(一) 昭和四一年一月当時、原告鈴木は静岡市立豊田中学校教諭、同和田は同城内小学校教諭、同繁田は同東中学校教諭、同原川は同安東小学校教諭であり、かつ主として静岡市内の公立小中学校の教職員をもつて組織されている職員団体である静岡市教職員組合(以下市教組という)の組合員で、原告鈴木は市教組執行委員長、同和田は書記長、同繁田、同原川は共に執行委員であつた。

(二) 昭和四一年一月一四日、被告は原告鈴木に対し免職、同和田に対し停職六ケ月、同繁田、同原川に対し三ケ月間給料およびこれに対する暫定手当の合計額の一〇分の一を減給するという各懲戒処分(以下本件懲戒処分という)をした。

右処分の事由は「原告らはいずれも市教組の上記役員として、市教組の西奈中学校分会が昭和四〇年一〇月二二日午後一時から午後五時一五分までの間職務を放棄するいわゆる一せい半日休暇闘争を行なわないことを決定したことに憤慨し同分会を闘争に参加させるため、同月二〇日夜十時頃四名相伴つて右分会の分会長白石哲郎の自宅に赴いた。そして原告鈴木は白石を戸外へ呼び出し午後一〇時過ぎから約一時間半にわたつて同人に罵言をあびせた上、拳で同人の顔を殴り、腹部を強く突くなどの暴行を加えた。原告和田も原告鈴木と共に白石を連行しながら罵言をあびせ、原告鈴木の暴行に同調した。原告繁田、同原川は原告鈴木らの行為を見ながら、あえて制止せず、これと行を共にした。右の事実は新聞等で報道され、世論の強い非難をこうむつた。なお原告鈴木、同和田は、さきに昭和三九年一〇月三一日、被告の訓告を受けたことがあるのに、反省の色なく、かかる行為におよんだものである。原告らの以上の行為は地方公務員法(以下地公法という)第三三条、第三七条に違反し、同法第二九条第一項第一号および第三号に該当する」というのである。

(三) しかし原告らは被告がいうような行為をしたことはなく、本件懲戒処分は違法で取消されるべきである。

(四) また被告は市教組の組合活動を嫌悪しており、かねがね原告らがその役員として活動しているのを敵視していたところ、たまたま一部の新聞が原告鈴木について事実を歪曲した報道をするや、これに乗じて本件懲戒処分を行つたもので、これは地公法第五六条に違反した不利益な取扱であるから取消されるべきである。

(五) 原告らは昭和四一年三月一五日地公法第四九条の二第一項にもとづき、静岡県人事委員会に本件懲戒処分の審査請求をしたが、三ケ月を経た後もその裁決がない。

(六) よつて原告らは右各懲戒処分を取消すとの判決を求め、本訴におよんだ次第である。

第三、被告の答弁および主張

(一) 請求原因(一)、(二)および(五)の事実は認め、その余は争う。

(二) 本件懲戒処分は、後記(三)、(四)記載のように、原告らによる前記白石に対する暴行事件と、その背景をなしている、原告らが地公法第三七条第一項によつて禁止されている争議行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし、あおる行為をした事実(右暴行事件も一面においてその一事例にあたる)に対してなされたもので、正しい裁量にもとづいて行われた適法正当な処分である。もつとも本件処分当時原告らに交付された懲戒処分事由説明書には、白石に対する暴行事件のみが事由として記載されているが、行政訴訟においては処分者が当該処分当時存在したすべての事実を処分事由として主張できることは、判例および通説の一致した見解である。

(三)1、日本教職員組合(以下日教組という)は、昭和四〇年九月二九、三〇日、東京で開かれた第二九回臨時大会において、一律七、〇〇〇円の給与引上げ、超過勤務手当、研修手当の支給、警備員の設置(日宿直廃止)などの要求事項を決め、その実現を図る手段として、同年一〇月二二日午後の授業を打切り、半日有給休暇をとり、要求貫徹大会を開くことを決議した。

2、静岡県教職員組合は、同年一〇月二日付指令第一号文書をもつて、右決定を執行委員長渡辺信夫の名で各支部長、分会長宛に通知すると共に、一〇月二二日には、全組合員は午後の授業を打切り、校長に対して有給休暇届を提出して半日休暇をとり、郡市単位の規模で開催する要求貫徹大会に参加すべきことを指令した。

3、市教組はこれより先、同年九月九日、一六日、一八日、一〇月二日、一四日等、数回の分会長会議等を開いて闘争体制の確立を図ると共に、組合員全員の投票を実施し、全国統一行動参加決意書を配布し、組合員に決意書、休暇届を書かせるなど、活発な活動を続けたうえ、一〇月二一日正午ごろ、各分会長に対し電報をもつて翌二二日に前記半日休暇闘争(以下本件休暇闘争という)を実行するよう指示した。しかしながら二一日午後の日教組の指令により、本件休暇闘争は実施に至らず中止された。

4、原告らは市教組の執行部役員として、本件休暇闘争の実施を促すべく積極的に活動し、次のような地公法第三七条に違反する行為をした。

(1) 同年八月一八日開催された夏期宿泊分会長会議及び同年九月一八日開催された市教組臨時大会において、市教組においても県教組の指令に従い、本件休暇闘争を実行する旨を決定した(企て、遂行の共謀)。

(2) 同年九月九日、一六日、一八日、一〇月二日、一四日等、数回にわたつて分会長会議等を開き、出席した分会長らと共に組合員全員を本件休暇闘争に参加させるためいわゆる闘争体制の確立を図つた(遂行の共謀、そそのかし、あおる)。

(3) 同年一〇月上旬ごろ、本件休暇闘争に参加することを決定した旨を記載した「一〇・二二全国統一行動参加決意書」と題する書面を印刷し、これを分会長を通じて組合員に配布し、各人に記名捺印させた上、これを原告鈴木宛に提出させた(そそのかし、あおる)。

(4) 同月上旬ごろ、本件休暇闘争の実行の可否を問う旨の投票用紙を組合員全員に配布して投票させた(右同)。

(5) 同月二一日正午ごろ、各分会長に対し電報をもつて、翌二二日に本件休暇闘争を実施すべき旨の指令をした(右同)。

(6) 同月九日、市教組が前記決意書を集めた結果、静岡市立青葉小学校、同竜南小学校、同城内中学校の各分会において、決意書提出がきわめて少ないのを知り、これら分会に対して次のとおり積極的なオルグ活動をした(右同)。

(イ) 同月一三日、原告和田外七名は青葉小学校におもむき、午後五時ごろから午後七時半ごろまでの間、右決意書未提出者に対し、本件休暇闘争に参加するように説得した。

(ロ) 同月一九日、原告鈴木は青葉小学校で、午後五時ごろから午後七時半ごろまでの間、前同様の説得をした。

(ハ) 同月二一日午後三時半ごろ、原告鈴木は前同様の説得をする目的で、城内中学校において開催中の静岡県教育委員会主催の書写研究会会場に職員の制止をきかずに立ち入り、参会者に対して集合先を指示説得した。

(ニ) 同日午後八時半ごろから午後九時一〇分ごろまでの間、原告鈴木、同和田外一名は、青葉小学校におもむき、前記(イ)、(ロ)同様の説得をした。

(ホ) 同日午後一〇時四〇分ごろ、原告鈴木、同原川外四名は、竜南小学校におもむき、翌二二日午前零時半ごろまで、前同様の説得をした(原告ら訴訟代理人は、原告和田に関する右事実を本訴において認めながら、後にこれを翻したが、右自白の撤回には異議がある)。

(四) 以上のような背景のもとで、前記の原告らによる白石哲郎に対する暴力行為が発生した。

1、被害者白石哲郎は、当時静岡市立西奈中学校教諭の職にあり、市教組西奈中学校分会長であつた。

2、西奈中学校分会は本件休暇闘争に対して批判的、消極的であつた。一〇月一九日ごろにおいて、闘争に参加するための決意書を提出しない分会員が一五名中一〇名位あつた。

3、白石は同月二〇日午後五時ごろ、静岡市立西奈小学校の分会長河合義雄に電話で西奈中学校分会の右のような状態を話した。

同日午後五時ごろから市教組本部で各分会長及びオルグ団員らが集まり、本件休暇闘争の実行を目的とする闘争委員会を開催したが、白石は自己及び分会の意向によつてこれに参加しなかつた。右会議は原告鈴木が市教組執行委員長として召集したもので、原告和田は書記長として、同繁田、同原川は執行委員として、それぞれこれに関与した。原告鈴木、同和田はその席上で、白石が河合に電話したことを耳にし、白石が闘争の切崩しを図つていると誤解した。

4、原告ら四名は、右会議が午後七時半ごろ終つた後、静岡市内のバー「サイセリア」において、西奈中学校分会が休暇闘争に消極的な態度をとつているのは、分会長たる白石の責任であるとし、同人に対し同校分会員を闘争に参加させるよう説得すると共に、従来の同人の態度を非難叱責することを通謀協議し、その実行のため、四人そろつて同日午後一〇時一〇分ごろ、タクシーで静岡市南町一丁目一一番地所在の白石方住居におもむいた。

5、まず原告和田が白石方玄関で同人に対し「外に待つている人がいるから出てほしい」と告げて戸外に呼び出した。

原告鈴木は屋外で待ち受け、出てきた白石に向つて、いきなり「馬鹿野郎」、「裏切者」と罵りながら、同人の左の頬を握り拳で強く一回殴つた。

そして「殴られた理由がわからないか」、「なぜ西奈小へ電話した」、「おれたちが首を覚悟でやつていることを、よくも切崩しを計つたな」「お前を八つ裂きにしてくれる」などと叫びながら、右腕で白石の左腕をかかえ、無理に引張つて歩き出した。そばにいた原告和田、同原川、同繁田もすぐ後からついて行つた。

6、原告鈴木は白石を約一キロ離れた静岡市立中田小学校付近である同市中田二〇九番地の一先路上まで連れて行つた。原告原川は途中で帰つたが、原告和田、同繁田はそこまで同行した。

そこで原告鈴木は白石に対し、二二日の闘争のことについて分会員を指導したかとたずねた。白石は闘争が違法であると考えていたため、これに参加するかどうかは分会員各自の判断に任せ、参加を勧誘しなかつたと答えた。すると原告鈴木は「そんなことで分会長がつとまるか」と語気強く詰め寄り、右手の拳で白石のみずおち付近を二、三回突いて暴行を加えた。

7、原告らと白石は中田小学校の付近に約一時間いたが、午後一一時すぎに至るも白石が闘争参加を承知しなかつたので、原告鈴木らは途中でタクシーを拾つて白石を自宅の近所まで送つた。白石が帰宅したのは午後一一時半ごろであつた。

8、以上のとおり、原告らはバー「サイセリア」において前記のような共謀をした上、夜おそく白石方を訪れて同人を連れ出し、原告鈴木において同人に暴行を加えるのを、その余の原告らも目撃しながら、これを制止することなく、認容する態度をとつた。

直接暴力をふるつたのは原告鈴木だけであるが、そういう事態に立ち至ることは、その余の原告らも少なくとも未必的には認識していたもので、ことに原告和田はことさら白石を外に呼び出した点で共同正犯の責を負うべきものである。

原告原川は原告和田が白石を外に呼び出したとき、原告和田のすぐ背後にいて行動を共にし、白石方前路上の最初の暴行現場において原告鈴木、同和田に追随した。

原告繁田は白石方前から中田小学校付近に至るまで終始原告鈴木、同和田に追随し、原告鈴木の暴行を目にしながらこれを制止することなく、原告鈴木の白石に対する強要行為に追随して助勢した。

9、これら一連の行為が地方公務員、特に義務教育を担当する教職員としてあるまじき非行であつて、その職の信用を傷つけ、また教職員全体の不名誉となるべき行為であることはいうまでもない(地公法第三三条違反)。

同時に前記の如く本件休暇闘争の実行に批判的な立場にある白石を説得して、同人及び西奈中学校分会員をこれに参加させる目的で行なわれた点で、争議行為をそそのかし、あおる行為(地公法第三七条違反)に該当する。

直接暴行をしなかつた原告和田、同原川、同繁田も、原告鈴木と意思を通じ、前記のような説得行為をすることを共謀して、その遂行に参加し、原告鈴木の暴力行為をも容認同調する態度をとつたのであるから、いずれも原告鈴木と同様、信用失墜行為及び争議行為の教唆扇動の責を免れないものと言わなければならない。

(五)1、原告らの地公法第三七条の合憲性や適用範囲等に関する法律上の主張はすべて争う。

原告らは、原告らの行為が地公法第三七条第一項後段所定の行為に該当しないことを強調するが、それは同法第六一条第四号の刑罰規定の構成要件としての前記法条の解釈としては、あるいは当つているかも知れないが、刑事上の違法性と懲戒処分の理由となる服務規律上の違法性とは次元を異にするものであるから、仮に原告らの行為が刑事上処罰されないものであつたとしても、それ故に懲戒処分の理由にもならないとは言えない。しかも原告らの白石に対する行為は暴力を伴うあおり行為であつて、刑事上の可罰性がないとも言えない。

さらに公務員の争議行為を「そそのかし若しくはあおる」行為は、たとえばその結果争議行為が実行されるに至らない場合においても、独立した違法行為である。本件の場合原告らが市内の学校の分会を訪れて、組合員に対して本件争議行為に参加させる目的で行つたオルグ行為及び訴外白石に対して深夜行つた暴行を伴う強要行為は、争議行為をそそのかし、若しくはあおる行為であつて、本件争議行為が実行に至らなかつたことと関係なく、地公法第三七条に違反する違法行為である。

2、任命権者は職員に対し懲戒処分を行うに当つて、「その処分が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合であるか、もしくは社会通念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を越えるものと認められる場合を除き」、その「裁量に任されている」ものと解される。そして「行政庁の裁量処分については、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限り、裁判所は、その処分を取消すことができる。」本件各懲戒処分は従来の諸判例に照しても、右にいう事実上の根拠に基かない場合でも、社会通念上著しく妥当を欠くものでもなく、任命権者の裁量権の範囲内のものである。

第四、被告の主張に対する原告らの認否および反論

(一)1、被告の主張(二)の1ないし3の事実は認める。もつとも日教組が休暇闘争中止の指令を発したのは昭和四〇年一〇月二二日午前二時ごろである。

同4のうち原告らが役員となつていた市教組執行部が同項の(1)ないし(5)に記載されたような活動をしたこと(但し(4)記載の休暇闘争の可否を問う投票が行われたのは昭和四〇年九月二一日ごろであり、(5)に「各分会長に電報で闘争実施の指令をした」とあるが、指令ではなく指示をしたものである)は認める。同項(6)の事実中、「決意書提出がきわめて少ないのを知り」という点、(ハ)の「職員の制止をきかずに」という点、原告和田に関し(ニ)の事実、原告原川に関し(ホ)の事実は、いずれも否認するが、その余は原告らの行為が地公法に違反するという点のみを争い、事実自体は認める。もつとも原告和田に関する(ニ)の事実は本訴準備手続において認めたが、それは真実に反し錯誤に出た自白であつたから撤回する。

2、しかし右の各事実はいずれも本件懲戒処分当時被告が原告らに交付した懲戒処分事由説明書に記載されていない事項であるから、これらを本訴において処分事由として追加して主張することは許されない。

けだし処分事由説明書については地公法に規定があり、処分の事由は必要的記載事項とされている。それは公務員に審査請求権を認めたことにもとづく、すなわち処分時において被処分者に処分の事由を知らせ、これに不服がある場合、審査請求をする機会を与えることによつて、その身分を保障し、処分の公正をはかることを目的としている。したがつて処分事由のすべてが右説明書に記載されなければならず、これに記載のない事項を、後日処分事由として追加主張することは許されないと解すべきである。

3、仮に右の主張が認められないとしても、被告がその主張の根拠としている地公法第三七条第一項は、憲法第二八条に違反する無効の法令である。

公務員といえども憲法第二八条にいう勤労者であり、同条の規定する労働基本権を保障されていることは明らかである。かかる憲法上の権利を立法によつて制限することが許されるのは、当該職務又は業務が高度の公共性を帯び、その停廃が国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるため、争議権を制限することが真に必要やむを得ない場合に限られ、かつその制限は合理的に必要な最小限度にとどまるものでなければならない。しかるに地公法第三七条第一項は、右のような要件について何らの配慮も払うことなく、すべての地方公務員につき争議権を一律に否定しており、職務内容の公共性の大小にかかわらず、また方法の如何を問わず、あらゆる争議行為を一律に禁止しているのであるから、その違憲性は明らかで、これを憲法の趣旨に適合するように解釈する余地はないものである。

4、仮に地公法第三七条第一項を憲法に違反しないように解釈する余地があるとしても、本件に関してその適用を認めることは、合憲的解釈の範囲を越えることなしには不可能である。

すなわち公務員の争議行為であつても、それが国民全体の利益を害したり、国民生活に重大な障害をもたらしたりするおそれがない場合には、これを禁止することは、前述のごとく憲法上許されないところである。しかるに被告が本件処分理由として主張している半日休暇闘争は、日教組の中止指令により実行されずに終つた。したがつて右争議行為により国民生活が影響を受けるということは全くなかつた。このように実行されなかつた争議行為を地公法第三七条第一項に該当する争議行為ということはできない。したがつてそれに関して原告らのした行為が、右法条にいうあおり、そそのかしなどに該当するということはできない。なお被告はあおり行為等は争議行為が実行されなかつたときも違法であることに変りはないというが、あおり行為等はその争議行為そのものが違法性の強いものであり、かつあおり行為等が争議行為に通常随伴するものと認められるものでないとき、はじめて問題とされるに値する。本件においては争議行為の違法性を云々する余地はないから、あおり行為等も問題とならない。

5、また原告らの行為は、それ自体においても、右法条にいう争議行為の企て、遂行の共謀、あおり、そそのかし等に該当するものではない。けだし被告が、これらの行為に該当すると主張している事実は、原告らが市教組の役員として、単に通常の組合の会議に関与したり、通常の組合の執行行為に参画したというだけのことにすぎない。争議行為というものは、もともと組合の規約にしたがつて決定された組合員全員の意思にもとづいて実行されるもので、その意思決定に至る過程において、組合員の中から、役員であると、否とを問わず、一般的に争議行為の提唱、勧誘等の行為が行われるのであつて、それは大衆的な団体として当然のことである。そうすると争議行為の企て、共謀、そそのかし、あおりということは、これを何らの限定も加えない文字どおりの意味に解するならば、争議行為に関与したすべての組合員について言い得ることで、地公法が特にそれらを処罰の対象としたことを重視し、しかもそのことが憲法に違反しないように解するためには、それら処罰の対象となる行為の内容は自ら限定されざるを得ず、単に組合の意思決定に参画し、争議の遂行に協力したという以上に、それらの行為の手段がいちじるしく不当であり、強度の違法性が認められる場合に限られなければならない。ところが原告らの行為には、そういう特別の事情はなく、被告においてもそのような主張はしていないのであるから、これを地公法違反の行為ということはできない。

6、また地公法第三七条第一項を理由として、本件のように同法第二九条にもとづく懲戒処分をすることは、憲法第二八条、第一八条に違反する。

何となれば憲法第二八条が争議権の保障をしている趣旨を端的にいえば、労働者の集団的な労務の不提供が犯罪とされたり、損害賠償の責任原因とされたりしないことはもちろん、懲戒の対象とされることもないことを意味する。それは本来懲戒処分(ここでは地公法第二九条にもとづく)が、個別的労働関係の場において、それを規制するために作用するものだからである。一方争議行為の遂行、あおり、そそのかしということは、集団的、組織的労働関係の場における労働者の行動であつて、懲戒処分をなし得る場合と、その次元を異にする。したがつて政策的に地方公務員の争議行為が禁止されることがあつたとしても、その違反に対し、通常の個別的な労働関係を前提とする地公法第二九条による懲戒処分をすることは、憲法第二八条、第一八条に違反するものである。

(二)1、被告の主張(四)の事実中、白石哲郎が昭和四〇年一〇月当時、市教組西奈中学校分会の分会長であつたこと、同分会が本件休暇闘争の実行に消極的であつたこと、一〇月二〇日午後、白石が市教組西奈小学校分会長河合義雄にそのような状況を電話で話したこと、同日市教組本部で闘争委員会が開かれたこと、白石がこれに出席しなかつたこと、右委員会の席上で原告鈴木が白石が河合に電話した事実とその内容を耳にしたこと、同夜原告四名が白石方を訪れ、同人を誘つて中田小学校付近まで歩いて行つたこと(但し原告原川は途中で帰つたこと)、その際原告鈴木が白石に対し本件休暇闘争の意義や分会長たる者の責務などについて説得を試みたことは、いずれも認めるが、その余はすべて否認する。

2、被告の主張は事実をいちじるしく歪曲したものであつて、ありのままの事実は次のとおりである。

(1) 分会長たる白石の前記のような消極的態度は、闘争の実行に重大な障害をもたらすものであつたから、原告鈴木は同人の反省を促し、激励を与えるべく、同人と話合いをする必要を痛感した。その際自分一人で行くよりも、白石とかねて交際がある原告和田と同行する方がよいと思い、原告和田にその旨を告げ、その承諾を得た。そしてたまたまその場に居合せた原告原川、同繁田を加えて四人でタクシーに乗り、静岡市南町の白石方へ行つた。もつとも原告原川、同繁田の両名は白石方へ行く目的については知らされておらず、原告鈴木、同和田のみが下車して白石方を訪れ、原川、繁田の二人はタクシーの中で待つていた。

(2) 原告和田は原告鈴木と共に白石方に入り、白石に向つて組合のことについて戸外で話したいと告げたところ、同人は承諾して屋外に出てきた。そこで原告鈴木が白石に対し、同人が西奈小学校の河合に電話で話したことの真意をただしたところ、白石は白ばくれた態度をとつたので、原告鈴木はその不誠実な態度を非難し、「君もしつかりやれ」と言つて、同人の左肩付近を右手で一回打ち、歩きながら話そうと言つて、同人と連れ立つて歩き出した。そのころ原告和田は白石の妻とあいさつを交し同人宅を辞去して表に出たところ、鈴木、白石は歩き出していたので、タクシーの中にいた原川、繁田を誘い、鈴木らの後からついて行つた。途中で原告原川は、タクシーを待たせたままになつていたので、それを帰すために別れて帰途についた。

(3) 原告鈴木は白石と連れ立つて中田小学校付近まで行つた。その途中、本件休暇闘争の意義、市教組各分会の状況、分会長としてとるべき態度などについて話し合い、原告和田は時々これに加わつたが、原告繁田は終始ついて行つただけであつた。

しかし話合いがはかばかしく進まないので、原告鈴木はこれを打切り、通りかかつたタクシーに四人で乗り、白石は同日午後一一時ごろ同人方付近で下車して帰宅した。

以上が事実のすべてであつて、被告の主張は大部分が架空虚構のものである。

3、本件休暇闘争については、日教組、県教組、市教組が、それぞれの段階で民主的ルールにしたがつて討論した結果、いずれも大多数の支持によつて闘争の実行を決定したのであるから、組合員である限り、これに従う義務がある。しかるに白石は分会長という責任ある地位にありながら、討論のため開かれた分会長会議にも出席せず、自らの分会では分会会議も開かなかつた。

その上西奈小学校分会の分会長たる河合に対し、闘争態勢を乱すような電話をかけ、組織の切り崩しをしているといわれても弁解の余地のない行動をした。このような裏切り的行動をとる者を追及して反省を促し、さらにこれらの者をも団結の中に包んで行動を組織することは、組合役員の義務であり、原告鈴木、同和田が白石方におもむき、同人に説得を加えたのは、そういう当然の義務を遂行したことに外ならず、全く正当な行為である。

被告は原告らの右行為についても、地公法第三七条所定の争議行為の「そそのかし、あおり」に該当する旨の主張をするが、右主張は前記(一)の3ないし6において論じたところと同一の理由により、失当である。

(三) 以上述べたとおり、被告が本件処分理由として主張していることは、すべて理由がないが、仮に原告らの行為に懲戒の理由となる違法な点があつたとしても、本件懲戒処分は次に述べるとおり、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用してなされた違法な処分である。

1、仮に原告らの行為に地公法第三七条第一項の禁止に触れるものがあつたとしても、この禁止違反に対して科すべき不利益は、必要かつ合理的な範囲にとどめなければならない。本件休暇闘争は、日教組傘下の各教職員組合が全国的に行つてきたものである。静岡県においても県教組に属する各市町村教組が静岡市教組と共に行つてきた。しかも最後には日教組の指令により、統一行動を実施することなく、中止されたものである。かつ原告らは組合役員として当然なすべき行動以外のことは何もしていない。然るに被告が原告ら静岡市教組の役員に対してのみ、地公法違反を理由として本件の如き苛酷な懲戒処分をしたことは、合理的な裁量の範囲をいちじるしく逸脱したものである(静岡県下においても、全国的にみても、懲戒処分をされた例は本件だけである)。

2、仮に原告鈴木が白石に対し違法有責な暴力行為を加えたとしても、それは偶発的な事件であり、暴行の態様も軽微なものであつて、罰金刑を科せられる程度の行為にすぎない。静岡地方裁判所はこれについて原告鈴木を罰金一万円に処している。多くの実例によれば、被告はこれよりはるかに高額の罰金刑に処せられた教職員に対して、戒告処分をもつて臨んでいるのに、本件では原告鈴木に微戒免職を科している。

その余の原告らに至つては、白石に対し何らの違法行為も加えていない。してみると被告がした本件懲戒処分は、いずれの原告に対しても甚しく合理性を欠き、裁量権の範囲をこえていることが明らかである。

3、むしろ本件懲戒処分は原告らが市教組役員として活発な組合活動をしていたことに対する被告の敵意から出たもので、そのことは本件処分が原告鈴木に対する検察官の訴追を待たずして早急になされたこと、処分発表と同時に被告が市教組の分裂のために、策動を開始したことからも、うかがい知ることができる。

以上のような事情を総合して考慮すれば、本件処分は裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用してなされた違法な処分として、取消を免れないものと言わなければならない。

証拠<省略>

理由

一、請求原因(一)、(二)および(五)の事実は、当事者間に争いがない。また被告の主張(三)の1、2の事実ならびに同3記載の静岡市教組が本件休暇闘争実行のためにした準備活動の経緯および本件休暇闘争が実行の直前に日教組の指令によつて中止されたことも、当事者間に争いがない。

二、被告は本件懲戒処分の事由の一部として、原告らが市教組執行部役員として被告の主張(三)の4の(1)ないし(6)に記載されたような活動をした事実を主張するところ、右事実が本件懲戒処分の行われた当時、原告らに交付された懲戒処分事由説明書に記載されていなかつたことは、当事者間に争いがない。

原告らはこのように処分事由説明書に記載されなかつた事実を処分取消訴訟において処分事由に追加して主張することは許されないと主張する。

しかし行政訴訟において処分者はその処分当時存在したすべての事実を処分事由として主張できると解すべきであるから、右主張は採用できない。

三、そこで、まず本件休暇闘争が地公法第三七条第一項に違反する違法な争議行為であるという被告の主張の当否について判断する。

(1) 本件休暇闘争の具体的方法が、市教組の全組合員が各自半日有給休暇をとり、平日の午後の授業を一斉に打切つて、集会に参加することを骨子とするものであつたことは、当事者間に争いがない。このように多数の職員が労務の提供を中断することを目的として、集団的に有給休暇を申請し職務を離れるという行為が、使用者に対する争議行為を構成することは否定できない。そして地公法第三七条第一項は、文字どおり読めば、地方公務員に対し、何らの留保もなく、あらゆる争議行為を禁止しているのであるから、本件休暇闘争も当然その禁止に触れるものといわなければならないであろう。

しかしながら労働者の争議権を保障した憲法第二八条の下では、この権利を制限することができるのは、特に公共性の高い業務に従事する労働者について、争議によるその業務の中断が、これを必要とする公衆の生活に重大な障害をもたらすおそれがあり、そのおそれを除くためには争議権自体を制限するより外に方法がない場合に限られると解すべきところ、地方公務員の中には職種によつて特に公共性が高いとはいえない業務に従事する者もあり、又公共性の高い業務に従事する職員の場合でも、争議行為によるその業務の停廃が、その規模、方法、期間の如何によらず、常に公衆の生活に重大な不利益を生じさせるものとも言い切れないのであるから、すべての地方公務員に対し、単に地方公務員であるというだけの理由で、争議行為を一般的かつ無条件に禁止するが如き立法は、憲法の許す範囲を越えたものとして、違憲無効の立法といわざるを得ない。したがつて地公法第三七条第一項は、これを文字どおり解釈する限りは、まさに右のとおりの争議全面禁止法として、違憲とされなければならないのである。

しかしその反面、地方公務員の争議行為が全く無制限に認められるものとすれば、それが公衆の生活に忍ぶことができない程度の深刻な脅威をおよぼす場合があり得ることは否定しがたい。そこでそのような場合に備えて、争議行為に法律上の制限を設けようという社会的要請が生じてくる。そのような制限的立法は、規制の対象をできるだけ具体的に明確化し、何人もその解釈に迷わないようなものであることが、望ましいことはいうまでもないが、事の性質上、そのような規定の明確性と、運用に当つての有効性とを兼ね備えた立法が、容易に望みがたいことは明らかである。現行地公法第三七条第一項は、前記のようにその文言においては憲法の要請と調和しがたいものがあるけれども、争議行為に対し合理的な制限を加えようとする限度では、憲法とも矛盾せず、社会的必要性も認められるのであつて、かつ前記の如く右のような目的を持つた立法においては、ある程度の一般条項的不明確性は技術的に避けがたいものと考えられ、現行法に制限解釈を加えることによつて生じてくる不明確性のみが、特に排斥すべきものとは必ずしもいえない。このような観点からすれば、地公法第三七条第一項は、その一般的な表現にかかわらず、これを憲法の枠内で許されるべき限りでの争議行為の制限を定めたものと解釈して、具体的な争議行為が右法条の禁止に触れるか否かは、その争議行為に訴えてまでも維持し、実現しようとする労働者の利益と、これによつて影響をこうむるところの公共の利益とを、具体的に比較して、そのいずれを重しとすべきかにより、その争議行為が憲法第二八条による争議権の保障の枠内にあるべきか否かをまず考えた上で、その枠からはみ出していると評価される場合にはじめて、地公法の禁止の対象となるものとして判断すべきである。

これに対しては、そのような解釈は現行法の文理を余りにも無視したものであつて、解釈の限界をこえ、禁止規定の適用の有無をめぐつて、いちじるしい混乱をもたらすとの批判が当然に予想され、本件の原告らもその趣旨の指摘をなす。

しかし当裁判所は、さきに最高裁判所が判示したように、およそ法令の規定は可能な限り憲法の精神に則り、これと調和し得るよう解釈すべきであるという原則的立場から、右法条を前記のような制限的解釈の下で、憲法に違反しないものと解することとする。したがつて地公法第三七条を違憲とする原告らの主張は採用しない。

(2) そこで次に本件休暇闘争が憲法第二八条によつて保障された争議権の行使と認められるか否かについて判断する。

まず教職員の職務が高い公共性を持つものであることについては、異論の余地はない。もつともその職務の性質上、これが一日でも中断されれば、ただちに公衆の生命身体や財産の安全がおびやかされ、又は日常生活に直接いちじるしい障害をもたらすということはないが、仮りにその中断が数日におよぶような場合には、児童生徒は本来学校で教員の指導監督の下にあるべき時間を、異る環境の下にすごさざるを得なくなり、日常の生活習慣から引離され、生活の乱れを来し、場合によつては不慮の事故にあうおそれがないといえないばかりでなく、少なくともその間に失われた学習時間を後日つぐなうことは困難となり、予定された教育課程を完全に消化し得ない結果に至るであろう。

このように教職員の争議行為は、その程度如何によつては、紛争の当事者以外の者である児童生徒に対して、最も直接かつ深刻な不利益をこうむらせるものであるから、争議行為によつて実現しようとする要求の合理性や緊急性の程度が、これから派生する右のような不利益を正当化するに足りない場合には、その争議行為は争議権を濫用するものとして、憲法の保障の枠外にあるものというべきである(なお争議行為の方法が平和的なものでなければならないことは、いうまでもない)。

このような前提のもとに、本件休暇闘争の正当性の有無について考えてみる。

本件休暇闘争の目的が、日教組臨時大会において決議された一律七、〇〇〇円の給与引上げ、超過勤務手当、研修手当の支給、警備員の設置(日宿直廃止)などの要求事項の実現を図るにあたつたことは、当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第一ないし三号証、第五号証、乙第一号証の一ないし五、同九ないし一二、第八号証、第一〇号証の一、二、第一一号証の一、二、第二一号証、第三〇号証、証人槇枝元文、同勝又武一の各証言、原告鈴木本人尋問の結果を総合すれば、昭和四〇年度の国家公務員の賃金引上要求に関して、同年八月一三日付で平均六・四パーセントの引上を同年五月一日にさかのぼつて実施すべきであるという人事院の勧告がなされたこと、地方公務員の賃金引上に関して行われる各都道府県人事委員会の勧告は毎年その年度の人事院勧告の内容に準じて行われるのが例であつたこと、昭和三五年以来、人事院は毎年賃金引上げの勧告をし、その中でこれをその年の五月一日以降実施すべきであるとしてきたが、政府は引上げの率については、おおむね勧告に従つたものの、実施時期については、つねに財源難を理由として九月又は一〇月から実施してきたこと、昭和四〇年度においても人事院勧告に対する政府の態度は、一〇月一日から実施するというものであつたこと、毎年各地方自治体において実施される地方公務員の賃金引上げも、時期の点では通常その年の国の方針に追随して行われてきたこと、昭和三四年以降、日教組、自治労、全農林を中核とする各公務員労働組合によつて結成された公務員共闘会議は、昭和四〇年度に至り、政府ならびに各自治体のこのような一貫した態度を改めさせるには、まず政府に人事院勧告の完全実施を要求する手段として、一斉実力行使に訴えるもやむなしとして、同年一〇月二二日を期して全国統一行動を行う方針を定め、本件休暇闘争はその一環として計画されたものであつたこと、右統一行動にのぞんで公務員共闘がかけた統一要求は、賃金の一律七、〇〇〇円増額と増額の時期を五月一日とすること、これに必要な地方財源を国の措置で確保すること、通勤手当の完全支給というものであり、日教組はさらに独自の要求として、従来教職員が事実上超過勤務に服しているにかかわらず、これに対する超過勤務手当が支給されていないので、今後は一般行政職の公務員と同様に右手当を支給すること、日宿直制度を廃止し、専門の警備員を設けて、教職員が本来の職務に専念できるようにすること、教職員の研修に必要な費用を手当として支給することの三点をかかげていたこと、以上の要求が全部容れられなくても、少なくとも人事院勧告にそつた国家公務員の賃金引上げを五月一日にさかのぼつて実施させ、地方公務員の賃金引上げもこれにならつて行わせるというのが、公務員共闘の一番中心の、最低限の目標であつたこと、以上の事実が認められる。

そもそも人事院および人事委員会を設けた制度の趣旨が、公務員の争議行為を法律によつて禁止すること(もつともこれを全面的な禁止と解し得ないことは前記のとおりである)の代償としてむしろ公務員がその権利の維持拡張のために争議行為に訴える必要をなくし、少なくともこれを緩和することを目的として、人事行政に関する中立的判定機関を置こうとするものであつたことは、今更いうまでもない。したがつて人事院が国家公務員法第二八条第二項の規定に基いて国会および内閣に対してする勧告ならびに人事委員会が地公法第二六条に基いて地方公共団体の議会および長に対してする勧告は、拘束力を持たないことはもちろんであるが、原則として尊重されなければならない(もしこれらの勧告の内容が十分合理的であつて、かつ国や地方公共団体がよくこれに従うならば、公務員の争議行為に対する制度も、これに応じた割合でその正当性を増すであろう)。しかるに政府は昭和四〇年に至るまでの五年間にわたつて毎年人事院勧告による給与改善の時期を勧告よりも五ケ月程度おくれさせるのを常とし、各地方公共団体もこれにならつてきたのであるから、公務員労働者がこれを不満とし、ある程度の争議行為に訴えるのもやむを得ないと判断するのには、むりからぬ理由があるといわなければならない。もつとも公務員共闘が表面上かかげた統一要求である一律七、〇〇〇円の賃金引上げと通勤手当の完全支給が、どの程度妥当な要求であるかは、にわかに判断できないが、実質的な最低目標は前記のとおり人事院勧告の完全実施にあり、右要求は少なくとも不当過大ではない。又日教組がかかげた独自の要求項目も、それが容れられなければ、あくまで本件休暇闘争を強行するというものではなく、要求自体も少なくとも超過勤務手当の支給と日宿直廃止という点については、不当なものとはいえない。

右のような事情を考慮すれば、前記のような方法による本件休暇闘争は、未だ憲法の保障する範囲をこえた争議行為とは考えられない。けだし争議行為の主たる目的とするところは、中立の立場にある公の判定機関がなした勧告の実現を求めるにあり、右要求は過去数年にわたつてみたされずに終つていたもので、争議行為以外の手段をもつてしては容易に実現しがたいと考えられる事情にある。一方本件休暇闘争が実施されれば、公立小中学校において午後数時間の授業が廃されることになるが、その程度の授業短縮は、通常の学校運営上必ずしも稀なこととはいえず、又本件休暇闘争が予定された時期が第二学期の半ばごろであることを考えれば、このため生じる程度の学習のおくれは、おそくとも学年度末である第三学期の終りごろまでには、無理なく回復できるものと期待し得る。以上のような争議行為の目的、必要性と、そのもたらす影響とを比較してみると、学校教育が正常に継続されるという公共の利益が、教職員の勤労者としての権利の前に、一歩を譲るべき場合であると考えられる。なお手段として暴力を伴う争議行為は、いかなる場合でも憲法が保障する対象とならないことは当然であるが、本件休暇闘争がそういう暴力的手段をも予定するものであつたことを認めるに足りる証拠はない。かつ現実に闘争は行われなかつたのであるから、その実施に当つて暴力的行為が発生したということも無論あり得ない(ここにいう暴力的行為とは、本件における原告鈴木の白石に対する後記暴行の如く、単に争議行為のための宣伝説得の場で、偶発的、個人的に発生した行為までも含む趣旨ではない。)もつとも前出乙第一号証の一〇、第八号証、第一〇号証の二、証人中口武彦の証言によると、右闘争当日の一〇月二二日には午後の授業は放棄され、その間児童生徒は自習することになつていたことが認められ、その間の児童生徒に不慮の事故が起きたときのことなどを考えると、右一斉休暇闘争の違法性(地公法第三七条該当性)が問題とされる余地がある。しかし右中口証言によると、その闘争にあたつて教頭(当時はほとんど組合員)は休暇をとらず学校に残ることになつており、また非組合員の校長は当然学校に居るし、その他非組合員の先生もあつて学校にいるから、それらの人達によつて児童生徒(小学校では一、二年は午前中で授業が終り帰宅する)の掌握ができることが認められるので、事故などには一応対処しうるものと考えられ、その面での違法性もないといつてよい。

(3) ところで被告は原告らが本件休暇闘争に当つてあおり行為等をしたという。しかし右闘争は前記のとおり地公法第三七条にいう争議行為に当らないものであり、しかも実際には二二日早朝に中止指令がでて実行されるに至らなかつたのである。そうすると、その際のあおり行為等はそれが普通の正常な企て、協議、宣伝、説得に止まる限り、もはや警戒の対象とする余地はないと解される。もつともそのあおり行為等が争議行為に通常随伴するものとは認められないような、それ自体違法性を帯びたものである場合にはたとえその争議行為が違法でない場合とか争議行為が実行されなかつた場合でも、なお懲戒の対象とされる余地がある。そこで被告の主張(三)の4の(1)ないし(6)の事実について考えると、特に(6)の(ハ)の原告鈴木が昭和四〇年一〇月二一日午後三時半ごろ、城内中学校で催された書写研究会の会場に職員の制止をきかずに立入り、参会者に対して説得行為をしたという点については、右日時場所において原告鈴木が参会者に対して説得行為をしたことは当事者間に争いがなく、証人稲葉義州の証言によれば、その際同証人が城内中学校の教頭として会場の整理運営に当つていたところ、原告鈴木に廊下で出会つたので、用事がなければ外へ出ているように告げたこと、同原告は一旦は立去つたが、約一時間以内に再びきて、稲葉が前同様退去を求めたのをきかずに、会場内の参会者に向つて、研究会が終つたら県教組の会議室に集つて下さいと連呼し、約一〇分後に帰つたことが認められる。原告鈴木本人尋問の結果中、右認定にそわない部分は信用できない。したがつてこの点の被告の主張は、一応事実に即したもので、原告鈴木の右行為は、本来勤務中と認められるべき職員に対し、制止されるのをきかずに右のような呼びかけをしたという点で、厳密にいえば違法であることを免れない。しかし右認定事実によつても同原告の行動は積極的に研究会の運営を妨害したものとまではいえず、その実質的違法性の程度は、本件懲戒処分の付随的事由として考慮すれば足りる程度のものと考えられる。右の点を除く外、被告主張の原告らの具体的オルグ活動については、被告の主張自体によつても特に違法とすべき点は指摘されず、証拠上も正常な宣伝、説得の範囲をこえて行われたというべき点は認められないので、これらの活動への個別的な参加の有無に関する争いについて判断するまでもなく、本件懲戒処分事由たり得べき事実の存在は認められない。

四、そこで次に、本件懲戒処分の基本的事由というべき原告らの白石に対する暴力行為の有無について判断する。

成立に争いのない甲第一号証の一部、第三ないし五号証の各一部、第六号証、乙第七号証の一、二、第一六号証、第一七、一八号証の各一部、第一九、二〇号証、第二一号証の一部、第二二ないし二七号証、第二八ないし三一号証の各一部、第三二ないし三四号証、証人中口武彦、同勝俣武、同牧元親雄の各証言、原告四名各本人尋問の結果の各一部および弁論の全趣旨を総合すれば、次のように認められる。

昭和四〇年一〇月当時白石哲郎は市教組西奈中学校分会の分会長であつたところ、(右事実は当事者間に争いがない)同分会では本件休暇闘争に消極的な空気が濃く(この点も当事者間に争いがない)、白石自身も同中学校の職員が小人数で一人当りの負担が大きいせいもあつて、日頃から組合活動には消極的であつて、本件休暇闘争実施決定の前後を通じて、分会長会議に出席することが少なく、このため原告鈴木、同和田をはじめとする市教組執行部は、本件休暇闘争実行に当つての右中学校職員らの態度に不安の念を抱いていた。闘争予定期日である昭和四〇年一〇月二二日の直前の同月二〇日夕刻から市教組本部で各分会長らを集めて開かれた闘争委員会にも白石は出席しなかつた。その席上で原告鈴木は西奈中学校と同一の敷地内にある西奈小学校から電話を受け、白石が同日午後五時ごろ同校分会長河合義雄に電話して、西奈中学校では今度の闘争に参加できない者が一〇名位出そうだと話したことを耳にした。西奈小学校では一応全員参加の態勢ができていたところへこのような電話を受け、同一敷地内にある西奈中学校との足並みがそろわないまま、自校のみ全員参加した場合には父兄から特にきびしい非難を受けることを免れないと憂慮し、執行部に対策を求めてきたものであつた。もともと本件休暇闘争の実施に踏み切つて以来、執行部は各分会に対して、分会同志で互いに情報を交換することは、当局やPTAによる切崩しの危険を招くとして、これを禁止する旨の指示をしていた。そこで原告鈴木は、白石の行為は統制違反であるばかりでなく、積極的に切崩しを図つている疑いすらあると判断し、早急に白石の真意をただし、反省を求めようと決意したが、その場では誰にも右の事実を告げなかつた。同日午後九時すぎごろ、闘争委員会が終つてから、原告鈴木は静岡市西門町のバー「サイセリア」に行き、一服しながら、その足で同市南町にある白石方を訪ねようと考えたが、書記長の原告和田が白石と旧知の間柄であるので、同原告と一諸に行く方がよいと思いつき、たまたま同行してきた原告原川に頼んで、市教組本部に残つている原告和田を迎えに行かせた。原告和田は原告繁田と二人で食事に出かけようとしていたところへ原告原川がタクシーで呼びにきたので、そのまま三人で「サイセリア」へ行つた。そこで原告鈴木は原告和田に向つて西奈小学校からの電話の内容を告げ、白石方へ一所に行つてもらいたいと要請し、原告和田はこれを承諾した。原告鈴木はタクシーを呼び、原告原川、同繁田に、これから白石方に反省を求めに行くから一所にきてくれと言い、右両名も承知したので、四人でタクシーに乗つて出かけた。

同日午後一〇時一〇分ごろ、原告らは白石方の前の路上に車を停め、原告鈴木、同和田、同原川の三名が下車し、和田、原川の両名が、自転車預り業をしている白石方の店先の土間に入つて行き、原告鈴木は表で待つていた。原告和田は白石に「組合のことで話があるから外へ出てほしい」と告げ、同人を呼び出した。

白石は着流しのまま表へ出て原告鈴木の姿を認め、「こんばんは」と声をかけながら五、六歩近づいて行つた。その時、原告鈴木はいきなり「ばかやろう、裏切者」と叫びながら、右の握りこぶしで白石の左の頬を一回殴りつけた。白石は驚いて「委員長、殴つたな」と叫び、その理由をただしたところ、原告鈴木は白石が河合に電話したことを責め、右腕で白石の左腕をかかえて歩き出した。原告和田、同原川はこの間にタクシーに残つていた原告繁田をも下車させ、タクシーを待たせたまま、三人で原告鈴木らの後を追つたが、原告鈴木が白石をどこまでも連れて行くので、原告原川のみは間もなく原告和田の指示でタクシーに戻り、これに乗つて前記「サイセリア」まで帰り、そこにおいてあつたスクーターで市教組本部へ引返した。

原告鈴木は白石を同人方から約一キロ離れた静岡市中田二〇九番地の一付近の路上まで連れて行き、道々、白石が分会長会議などに稀にしか出てこなかつたことをなじつたりした。その間原告和田は時々二人の話に口をはさんだが、原告繁田はだまつたまま数歩おくれてついて行つた。

原告鈴木は前記路上で立ちどまり、白石に向つて本件休暇闘争について同人が分会員にどのような指導をしたかとたずねた。白石が闘争参加については分会員一人一人の判断に任せ、積極的勧誘はしなかつたと答えると、原告鈴木は「そんな分会長があるか、それで分会長が勤まるか」と語気鋭く詰め寄り、こぶしで白石のみぞおちのあたりを二三回突き、そんな分会長は今ここで委員長が免職すると言つたが、白石は、分会長の選任は分会員の総意によるのであるから、分会員でない委員長の言葉に従うわけにはいかないと答えた。原告鈴木はさらに一時間近くにわたつて白石に本件休暇闘争の意義を説き、原告和田と共に、分会長としての勤めが果せないなら辞任すべきだと迫るなど、問答を重ねたが、白石がどうしても闘争に協力するような態度を示さないので、それ以上の議論を断念してタクシーを拾い、原告和田、同繁田と共に白石を同人方付近まで送り三人で「サイセリア」へ引返した。

西奈中学校では、白石からこの事件の話をきいて、分会会議を開き、原告鈴木の謝罪と釈明を求める態度をきめ、同校に在籍している市教組の武田副委員長にその旨伝言するよう要請し、分会執行部からも市教組本部に電話でその趣旨を伝えようとしたが、電話が通じなかつたり、原告鈴木が不在であつたりして、直接連絡がとれなかつた。原告鈴木の方から自発的に謝罪するような態度は全く示されなかつた。

ところが同年一二月二日、静岡県議会商工文教委員会で上記の事実が市教組幹部の暴行事件としてとりあげられ、翌三日の静岡新聞、東京新聞静岡版などに記事となつて現われるにおよび、原告鈴木らはようやく西奈中学校分会への了解工作をはじめ、同日同校で開かれた分会会議に原告鈴木がおもむいて暴行の事実を認め、謝罪の意思を表明し、分会としてこの問題について了解したという趣旨の書面をもらいたいと要請した。同校分会では投票の結果、六対五で一応原告鈴木の謝罪を受入れるという態度をきめたが、その日は白石が出席しておらず、翌四日に白石が、この問題については白石個人の問題に戻してもらいたいという意思を表明し、同時に分会を脱退したことと、原告鈴木が同校分会から要求された謝罪文を出すと約束しながら、なかなか実行しなかつたために、この了解工作は立消えになつてしまつた。

同月一一日、原告鈴木は「暴力行為等処罰ニ関スル法律」違反の疑いで逮捕され、数日後釈放されたが、本件懲戒処分後である昭和四一年一月二九日、暴行罪で起訴され、翌四二年八月三一日、静岡地方裁判所で罰金一万円に処するとの有罪判決を受け、これに対し控訴した結果、昭和四三年三月二五日、東京高等裁判所において、控訴棄却の判決を受け、さらに上告したが上告棄却となつた。

以上の事実が認められ、前出甲第一号証、第三ないし五号証乙第一七、一八号証、第二一号証、第二八ないし三一号証、原告四名各本人尋問の結果中、右認定にそわない部分は信用できない。その他に右認定を左右する証拠はない。

五、以上にみたところによつて考えると、原告鈴木が白石に対して暴行を加えたという被告の主張は、おおむね事実に一致するものであつて、このような行為が教職員の品位を傷つけ、その職に対する一般の信頼を低下せしむべき非行であることは、いうまでもない。かつ同原告はその後におよんでも自らの非を省みることがうすく、白石に対し自発的に謝罪することもなく、右の行為が新聞等によつて公にされるに至つて、ようやく被害者の了解を得ようとして奔走しはじめたもので、その態度には遺憾とすべき点が少なくない。また同人の言動は一面で争議行為のあおり、そそのかす行為であつてしかも通常争議に随伴するとは認められないものである。

ただ同原告の右暴行は、いかにも相手の人格を無視した行為であつて、白石がこのためいちじるしい精神的苦痛をこうむつたであろうことは推察に難くないが、被告のいうように共謀の上の計画的なものとは認めがたく、むしろ闘争前夜の精神的緊張によつて、自制心が低下し、白石の態度を、分会長の地位にありながら執行部に協力せず、専ら自己保全を図るばかりか、かえつて組合員の団結を乱す行為に出たものとして、これに反撥する余り、自分たちが深夜まで奔走しているのに白石は分会長会議にも出ないで何事もないかのように帰宅しているという憤慨にもかられて、感情を爆発させてしまつた結果であろうと推認される。もつとも本件休暇闘争当時教職員の争議行為が一般に違法とみられていたことは公知の事実であり、そういう情勢のもとでは白石が本件休暇闘争の実行に消極的であり、逃げ腰の態度しかとらなかつたとしても、それは通常人の態度としてやむを得ないものというべきで、また同人が河合義雄に電話したことも格別争議妨害の意図に出たものと認めるべき証拠はなく、原告鈴木がこれを裏切行為に当ると判断したことは、多分に感情的な誤解にもとづくものといえる。かつ、いかなる理由があるにせよ、前記認定のような暴力の行使が是認されるべき余地はないのであるが、一方原告鈴木は前記のように右暴行の疑いにより逮捕され、数日間身柄を拘束されたうえ、罰金の有罪判決をも受けているのであつて、右刑事上の強制捜査および処罰によつて自己の非行に対する十分な社会的制裁を受けたものと認められる。そのことと右暴行がそれ自体としては比較的軽微な行為であること、原告鈴木がかかる行為に出たのも、同原告の立場からすれば、白石を含む組合員全体の利益のために、組合の正式な決定にもとづいて、自己の個人的な利害をかえりみずに困難な争議行為の指導に当り、苦労を重ねてきた末のことであり、同原告が白石に対して強い不満を抱いたことには、その当否は別として、人情としては理解できる面がなくもないことを考え合わせると、被告が同原告の右暴行とあおり行為等について同原告に対して懲戒処分をもつてのぞんだこと自体は正当というべきであるが、その具体的処置として懲戒免職を選択したことは、苛酷にすぎるものであり、裁量権を濫用したものといわなければならない。前記の原告鈴木の書写研究会場におけるオルグ行為の違法性を考慮に加えても、右結論は左右され得ない(右オルグ行為の違法性が軽微なものであることは、前記のとおりである)。この外に被告は原告鈴木が以前被告の訓告を受けた経歴があることを処分事由中に付言しているが、この点については格別の立証がない。

次に原告和田、同繁田、同原川については、被告は右原告らが原告鈴木が白石に暴行を加えることを少なくとも未必的には認識していたと主張するが、そういう事実は認められず、むしろ前記認定事実からすれば、右原告らはそのような事態の発生を全く予想せず、特に繁田、原川の二人は、ただ漫然と原告鈴木らについて行つたにすぎないものと認められる。したがつてまた上記三名については違法なあおり行為等も認められない。ただ原告和田、同原川は、白石方前での原告鈴木の暴行を目撃したか否かは定かでないが、少なくともその異常な気配には気づいたはずで、ことに原告和田は書記長として原告鈴木を補佐すべき立場にあつて、白石を説得することを予め原告鈴木と話合い、白石を呼び出す役を引受けたいきさつからしても、白石と旧知の間柄であることからしても、原告鈴木の興奮をしずめ、その自制をうながすべきであつたのに、漫然と同原告に追随し、白石に対する再度の暴行の現場においても、その付近に居合せながら、これを見すごしてしまつたことは、消極的にではあるが原告鈴木の違法行為に同調したとの非難を免れないものがあり、一応全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合として、懲戒処分事由に該当するものと認められる。しかし被告がこれに対し停職六ケ月を科したことは、いちじるしく重すぎる処分というべく、原告鈴木に対する処分同様、裁量権を濫用したものといわざるを得ない(原告和田についても、先に被告の訓告を受けたとの点が処分事由に記載されているが、この点の立証はない)。

原告原川については、白石方前での原告鈴木の異常な態度に気づいたであろうことは、和田の場合と同様であるが、同原告はもともと白石方へ行くことに積極的に同調したものとは認められず、書記長で白石の旧知でもある原告和田が居合せる以上、原告鈴木の行動を積極的に抑制するほどの責任を感じなかつたとしても、あえて責められるべきではなく、その後間もなくタクシーで帰つてしまつているのであるから、原告鈴木のその後の行動とも無関係であつて、懲戒処分に該当する事由があるものとは認められない。

また原告繁田は、白石方前での原告鈴木の行動を直接認識したわけではなく、もちろんこれをただちに制止できる位置にもいなかつたものと認められるし、その後原告鈴木らが白石を連行して行くのについて行き、原告鈴木の二回目の暴行に際しては、その付近に居合せたものと認められるけれども、積極的な行為は何もしていないのであつて、同原告としては鈴木の外に和田もいるので脇から口をはさむきつかけが何もないうちに、鈴木が再度白石に手を出してしまつたので、結局傍観している形になつたという程度のこととも考えられる。そうすると同原告についても懲戒処分に該当する事由があるとはいえない。なお原告らの集団的組織的労働関係について懲戒処分をするのは違法であるとする主張は採用しない。被告の本件処分が裁量権の範囲内であるという主張も理由がない。

六、以上のとおり、原告らに対する被告の本件懲戒処分は、原告鈴木、同和田については、裁量権を濫用したものとして、原告繁田、同原川については、処分事由がないのに裁量権の範囲を逸脱してなされたものとして、いずれも取消されるべきものである。

よつて原告らの本訴請求をすべて認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

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